残りわずか

2019年も残すところあと6時間を切りました。
今年も激動の1年であったダイエーを月ごとに振り返る。 

1月 大きく動くとは思わなかった

1月、すでに0239(横浜西口店)の閉店が決まっていたが、これ以上に大きく動くとは思わなかった。

2月11日 横浜西口店、47年の歴史に幕。

2月11日、横浜西口店が47年の歴史に幕を下ろした。
店長は、とても辛そうに挨拶をしていた。
やりきったような感じの表情になっていたが、どことなく寂しそう。
ただ、「南幸の街が大好き」と語っていたのが印象的。
ダイエーとして復活したいとも言っていたので、ぜひダイエーの屋号を引っさげて復活してほしい。
なお、私は同じ日に閉店した四条大宮店の閉店せレモニーに参列していた。

3月1日 山陽マルナカから14店が仲間入り。

3月1日付で、山陽マルナカから14店舗がダイエーに仲間入り。 ダイエーは、近畿事業本部に入れるのではなく、「マルナカ事業部」という専用の事業部を作り、看板を守った。
変わったところといえば、レシートの社名、システムと、各種企画や求人広告ぐらい。

3月31日 ショッパーズプラザ横須賀、涙の閉店。

2019年3月31日、横須賀市にあるダイエー横須賀店が閉店。 支配人が挨拶をしていた。
一番印象に残っていたのは、中内イズムである「お店は、お客様のためにある」と語られたこと。
オレンジの血が流れているのがすぐわかりました。

ダイエーの教えは、そう簡単に他に染まらないことが明らかになった閉店セレモニーでありました。

なお、筆者は閉店当日に閉店せレモニーに参列し、記事を記しているのでそちらもご参照願いたい。

4月26日 ダイエー栂店、黒塗り復活。

2017年7月31日をもって閉店したダイエー栂(とが)店が、建て替えののち、4月26日にフードスタイル栂・美木多店として復活。
当方は、黒い看板のお店はあまり行かないので取材できていない。

5月 フードスタイル四ツ橋店のオープンが発表

5月20日付で、ダイエーは大阪市の四ツ橋交差点すぐのホテルのゲタバキテナントとして、フードスタイル四ツ橋店をオープンすると発表。
こちらも場所はわかっているが、取材はまだである。

6月 ダイエーの動きとしては特になし

ダイエーとしては四ツ橋に新店を出したぐらいであり、大きな動きは見られなかった。

7月18日 ダイエー京橋店が閉店するとの知らせ

7月18日、読売新聞朝刊にとんでもない記事が書かれた。

大阪の旗艦店、ダイエー京橋店が閉店するというのだ。
私は、頭を殴られたかのような強い衝撃を受けた。
絶対に閉まらないと思っていたからである。
京橋店の余命宣告ほど驚いたものはない。

こちらも、記事にしているのでご参照願いたい。

8月30日 ダイエー新松戸店、黒塗りに。

8月30日、ダイエー新松戸店が黒看板でリニューアルオープン。
0350で、同年代で現役なのはポートアイランド店。
かつてスケートリンクもあったというぐらいのお店。
悲しいかな、黒看板になりました。

9月14日 藤井寺に新店。

9月14日、とあるショッピングモールの核となるお店として、フードスタイル藤井寺店がオープン。
株式会社ダイエーが運営する」なんて書くぐらいならダイエーかグルメシティでいいと思うのだが。
なお、例によって取材はまだである。

9月30日 ダイエー京橋店、47年の歴史に幕。

9月30日、大阪の京橋のランドマークのひとつであるダイエー京橋店が閉店。
支配人の挨拶の前に、ダイエーとも繋がりのあるシンガー集団、human noteと大阪は京橋出身の歌手、木山裕策氏によるスペシャルライブ。
お二方とも、ダイエーへの思いを語っていた。

最後に、長崎支配人が挨拶。
一番行きたいお店」と力強く語っていたのが印象的。
最後には、human noteの「蛍の光」で幕を下ろした。

なお、このお店の閉店セレモニーにも参列しておりました。
その様子も記事にまとめておりますので、ご参照願いたい。

10月 成増店の閉店発表

10月8日、都市商業研究所のサイトに「成増店が閉店する」と書かれた。
まだまだ若いお店なのに、と衝撃を受けた。

11月 ヒカリ屋山科、復活の報

11月19日に、昨年11月30日で閉店したダイエーヒカリ屋山科店の跡地に建つショッピングセンターの核店舗としてフードスタイル山科椥辻(やましななぎつじ)店がオープンするとの発表。
黒看板ではなく白地にオレンジはいつ復活するのか。

12月6日 山科に新店舗

11月19日に発表された山科の新店舗が12月6日にオープン。
昨年の閉店時に行けなかったが、結局再建後も行けていない。取材したい。

12月31日 ダイエー成増店が閉店


10月に発表されたダイエー成増店が今日、2019年12月31日18時をもって閉店。
まだまだ若いのに閉店する模様。
30年はまだ若い。

閉店セレモニーには参列できないが、様子は調査しようと思う。

激動すぎる2019年


ダイエーにとり、激動の一年であった。
来年にもダイエー店舗の閉店が数店舗控えている。
これ以上、ダイエーを減らさないでという願いを込めて、2019年を終えようと思う。

今年もお世話になりました


2019年もお世話になりました。
来年はダイエーに数十店舗養子に来ることがすでに決まっています。
果たして、そこはまた事業部を作り個性を守るのか、それとも…。

2020年も、スーパーゆかりとダイエーをよろしくお願い申し上げます。
皆様どうぞ良い年をお迎えください。

《おことわり》
当記事は問題提起を目的とするもので、批判を目的としていません。

風邪やインフルエンザのピークです

さて、皆さんはインフルエンザなどの感染予防をしていますか。

そう、感染予防にはマスクですよね。

そのマスクにNOと言ったところがあるようです。 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191226-00000007-jct-bus_all&p=1

最近物議を醸していますが、私自身これはおかしいと感じています。

マスクをつけていると「声が聞こえづらい」とクレームが出ていることが要因の一つとして挙げられていますが、
マスクつけない状態で保菌者がくしゃみをするとどうなると思いますか。
東京逓信病院ウェブサイトによりますと、
1回のくしゃみで、ウイルスが3mも飛ぶ。この速度は、時速約300km
なんと、新幹線より速い速度でウイルスが飛んでいくのです。
声が聞こえにくいのと、ウイルスをもらうのとどっちか我慢しろと言われたら、声が聞こえにくい方がまだ良いとは思いませんか。

マスクをしていたら接客レベルが下がりますか。
マスクをしていたら接客態度が悪くなりますか。

私は違うと思います。

理念ベースで考える

さて、理念でマスクの件を考えてみました。

お客さまの安全を最優先
マスクを禁止して感染のリスクが高まっているのに、お客さまの安全を守れるのでしょうか。
自覚症状がなくても保菌している可能性はあるのです。

お客さまへの貢献を永遠の使命とし、最もお客さま志向に徹する企業集団です。
いち「お客さま」目線から見ると、スタッフさんにはマスクをしてもらって、感染予防に努めてもらった方がこちらも安心してお店に行けると思っています。
マスクをしているから病気だなんて決め付けるべきではありません。予防のためにつけている人もいます。

お客さま第一
本当にお客さま第一というのであれば、マスクをつけて感染拡大を予防し、お客さまに安心してお店で過ごしてもらえる環境をつくるのが大事なのではないでしょうか。

パンデミックが起きるかもしれない環境をつくってお客さま第一なのでしょうか。

ましてや、インフルエンザが大流行の今年は特に感染予防に気をつけなければならないというのに。

すべてはお客さまのために」の視点で行動し、お客さまの日々のくらしに密着した「安心」と「信頼」を提供します。
ウイルスをもらうかもしれないのに、安心できるか、それは違うと思います。

感染拡大を防ぐためにもマスクを

感染しないためにも、手洗い、うがい、マスク。
インフルエンザは、こじらせると命を落とす危険がある病です。


すでに死人がでています。
これでも、マスクをつけるなと言えますか?

なお、 「マスク禁止令が出ているから行ったら移るんじゃないの」とか、「行ったらインフルエンザになる」などと批判するのはいくらなんでも現場のスタッフがかわいそうなのでやめてあげてください。
なる「かもしれない」でしょうけれど、「なる」と断言するのは違います。
現場のスタッフも、マスクが嫌いだから外している人ばかりではないはずです。

マスクの着用を一律に禁止するのではなく、明確な基準を示すべきではないのでしょうか。 
取るべき時は取ったらいいと思いますが、一概に禁止するのはおかしいと感じています。

この記事は、問題提起を目的とし、個人の意見を述べているものであって、決して批判を目的に書いているものではありません。 

ダイエー京橋店、惜しまれつつ閉店。

本日2019年9月30日、あの大阪の旗艦店であり京橋のランドマークでもあるダイエー京橋店が閉店。
今回はそれについてレポート。

古き良きダイエーの残る店

京橋店は1971年11月26日オープン。 1971年といえば大阪万博の次の年、アポロが月に着陸した年であります。
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大北京の前のダイエー矢印。

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エスカレータ付近のパネル。
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かっこよくて素晴らしい。 

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時代の止まった売場。
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圧倒される三連ダイエー矢印。
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ピクトグラム最高。
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ダイエーのサイン。
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見つけた懐かしのフロア案内。
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駐車場でAとBに分かれていたのはここぐらい。
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最後まで気付かれずに残りました。

閉店セレモニー

今回、事前に2階のセンタープラザで閉店セレモニーをやると告知があった。
ゲストはhuman noteの皆さんと木山裕策氏。
19:00ちょうど、予定通りにスタート。 まずはhuman noteの皆様のミニライブ。
2曲歌われましたが、とても素晴らしく、どことなくお店の建物に向かって歌っているようにも聞こえた。
human noteの皆様は、全員だと700人を超えるためか、お店のある都島区を中心に活動されているグループの方々が参列。
青春時代を過ごし、結婚してからは子どもと来るようになり、思い出はたくさんあるからさみしいと語った。 

human noteをご存じない方のために少し。
ダイエーと関わりのあるアーティスト集団で、「世界一☆ベジタ」や「Wonderful Christmas」などを歌っている方々。
私はhuman noteが来るということを知った時は、「わかってらっしゃる」と思った。

続いて木山裕策氏。
この方は生まれも育ちも京橋。都島だと語った。
1968年にお生まれになられたとのことで、ほぼダイエー京橋店と歳が近いとも語った。
子供の頃から知っていて、ディッパーダンのクレープも好きだったとも語る。
上京された際にはディッパーダンがあまり見当たらないと驚かれたそう。 

この方、実は二足のわらじを履かれていて、サラリーマンしながら歌手活動をされている方。 
ガンを乗り越え、生きた証を、自らの声を残すべく歌い始めたのが始まりだそうで。

代表曲「home」をはじめ3曲を歌われた。
ライブの前に公開リハという珍事も。 

木山氏の歌声も、お店に、特に同年代であろう親世代に響いたのではないだろうか。

 

最後の挨拶

ライブ終了後、来賓3名が登壇。
都島区商店会連盟会長、ダイエー京橋店の長崎支配人、ダイエー京橋店専門店会の会長の3名である。

まずは都島区商店会連盟会長の挨拶から。
ダイエー京橋店は1971年、大阪万博の次の年。1970年には京阪モールがオープンし、その次の年にダイエーがオープン。

当時は百貨店の全盛期からスーパーに変わりつつあり、スーパーに力があった時代と語った。
それ以来、商店街とダイエーの専門店会とともにまちづくりをしてきたと語った。
京橋は昔は非常にガラの悪い街であったが、活動の成果か、放置自転車、路上喫煙を一掃
区民祭りのサポートや、大阪マラソンの選手向けの食品提供までしてきたという。
幕を降ろすことは痛手であり、ともにやってきた仲間が去るのはさみしい限りであるといったが、
OBPとともに「都市再生緊急整備地域」に指定されたため、建て替えとなることに。
ダイエーの時は万博の翌年だったけれど、今度の大阪万博の時に合わせて建つのではないかと予想された。
ダイエーは無くなるわけではないが、また京橋のランドマークとして戻ってきて、でかいイイやつを建ててほしいと希望を持っていらっしゃった。

が、不安もあるという。
でかいのが建つと、全部のお客様がダイエーに流れて、商店街が衰退するのではないか、と不安がっていた。
会長、申し訳ないけれど、現実になりそうなので怖いですよ。

しかし、京橋活性化にはなくてはならないお店であると語り、最後には長崎支配人と専門店会長に御礼をし、ダイエーがなくなったら商店街に来てちょうだいと締めくくった。
大阪らしいなぁ。
(お別れではなくめでたく締めたい、とも語った。)

続いて、ダイエー京橋店の長崎正司支配人より挨拶。
この時点で20時4分前であったが、20時をもって閉店ということにしたいと語った。
1971年にオープンした際、支配人は小学生であったそう。
センタープラザ横に「思い出の木」と称して葉っぱの形でツリーを作ることをしていた。
たくさんメッセージをいただきました、と語る。

あまりに数が多すぎて、「思い出のビル」になっているといった。

着任をして5年半、建ってから47年。一言では語りつくせないと。

お客様から手紙をいただき、感謝のメッセージもいただいたという。
お客様に感謝しきれないぐらい感謝しているとも語る。
あるお客様からは、「この47年、親子3代、孫まで、思い出を作ってくれた」と真剣に話された、とも語った。
ここ数日のお客様との会話は、感謝の言葉ばかりだったという。
学生時代を過ごした、ドムドムやディッパーダンのクレープを食べたというメッセージ、支配人自ら熟読していたという。
着任してから5年半、地域のお客様や駅利用のお客様に何もできなかったと語る。
しかし、先輩方々が守ってきた店、自分がこの店を守れるのか、というのが着任当初の感想だったそう。
ダイエーに入社して一番行きたかったお店がここ京橋店であると語った。
支配人だけでなく、同僚も含めてみんなが言っていたという。

お客様にきっちり物、サービス、コトのサービスを還元していく目標のお店がここだったと語った。

5年半前に着任し、目標達成したと語る支配人。

ただ、一時閉店に際してはご不便をおかけしてしまうことは恐縮であると語る。

ここからは本意ではないのかもと思いつつ聞いていたが、 (自主規制)グループはドミナントである。

4km先に野田阪神、3km先に鶴見緑地、南側には大阪ドームシティ、 (自主規制)モールがたくさんある。 (自主規制)バリュもあるという。 近くには(自主規制)光洋もやっている。
その期間はそちらを利用していただいて、戻ってきた際にはウチに来てと語った。 その期間はきっちり(自主規制)共々全員で還元していくと宣言し、47年間ご愛顧いただいたお客様に対するメッセージとする。
47年間、ありがとうございました」と締めくくった。

最後のお別れ

最後は2階の連絡通路で人だかりができていた。
そこにつながる通路には赤じゅうたん
スタッフたちが列を作り花道に。
出口のそばには長崎支配人。
ある程度まとまりがついた後は、シャッター前に全員整列。
真ん中には長崎支配人、その左には商店会連盟会長、右側には専門店会長。
ここでサプライズ。
human noteの皆様による「蛍の光」で締めくくられるサプライズ。
泣けました。
そして、最後の長崎支配人の寂しそうな顔
つらそうなのが顔に出てました。 

最後に

私自身、このお店は子供の頃から来ていた。
物心ついた頃からダイエーに触れており、1番のおでかけはこの京橋店
親に連れられ、買い物に。

最近も家族を連れてやってきた。
思えば今日までの3日間、ダイエーに通っておりました。
無くなるとは思っていなかっただけに、ショックは大きいです。
セレモニー中に本気で泣いてました。
それぐらい、私にとって思い入れの強いお店の一つです。
ただひとつ、心残りなのは、大北京で中華料理が食べられなかったこと。
閉店間近の激混みで入ることができなかったのです。
悔しい限りであります。
我々にできることは、ダイエー京橋店の存在をこの先もずっとずっと伝えてゆくことです。
絶やしてはなりません。語り継ぐのです。

P.S. 今日は来ていたのかな、中内CEO。
きっと、センタープラザの全体が見える位置でご覧になられていたのかな。

なぜ支配人??

さて、ここまで読み進めてきて気になった方もいるだろうが、セレモニーでは「店長」といっていたのに私は「支配人」と書いている。
なぜだ、という前に説明しておく。
実はダイエー京橋店、昔は一番偉い人支配人だったのである。
支配人というのは大型店の責任者を務める役職で、社内的には店長より格が上になる。
だから、支配人は部長級、店長は課長級だったという。
何を隠そう、私は「ダイエー原理主義者」と公言しているので、京橋店のトップは「支配人」で統一しているのである。

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