1995年1月17日 5時46分

淡路島北部を震源として起きた兵庫県南部地震。
のちに「阪神・淡路大震災」と呼ばれる未曾有の大災害に。

私は経験していない世代であるが、この日が近づくと地震について考える。
「知らなくても…」ではなく、「知っておかないと」と考えているからだ。

ルミナリエ

毎年12月半ばごろに開催される神戸ルミナリエ。
私も実は1度だけ行ったことがある。
無論、 本来の意味を知った上で、だ。

他のクリスマスイルミネーションと時期が重なることもあるが、これは普通のイルミネーションとは訳が違う

阪神・淡路大震災で犠牲になられた方々への鎮魂と追悼の意味がある。
点灯式が厳かに執り行われることからもわかることであろう。

1.17希望の灯り

神戸ルミナリエの会場となっている東遊園地内にあるモニュメント。
モニュメントには下記の碑文が刻まれている。
一九九五年一月十七日午前五時四十六分
阪神淡路大震災
震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出
… たった一秒先が予知できない人間の限界…
震災が残してくれたもの 
やさしさ 思いやり 絆 仲間 
この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ
「当たり前」が「当たり前でなくなる」ことの恐ろしさが窺える。

しあわせ運べるように

発生後約2週間で生まれた歌。

神戸では神戸マラソン、成人式、ルミナリエの点灯式などでも歌われるという。
2021年1月17日、神戸市の2つ目の歌として指定を受けた。
そして、未だ収束の見込みがないウイルスとの戦いでも、奇跡の歌として伝えられている。

ダイエーグループ

発生後素早い対応をとったことで「伝説」として語り継がれているのがダイエーグループの対応である。
発生後1時間弱である午前7時には災害対策本部を設置
8時には救援物資の配送を決定
11時には応援部隊を結成し、
午後1時には一部のお店で営業を再開
午後3時には現地対策本部を設置
翌日午前0時神戸に救援物資が到着
午前9時お店へと配送を開始

当時ダイエーグループのCEOを務めていた総帥、中内㓛は関係者に次のように伝えたという。
営業をできなくてもいいから、明りをつけろ。
暗いと物騒だし、神戸自体が沈んでしまう。
営業できなくとも、明るいだけで安心感がわくものだ。
少なくともダイエーグループだけは明かりをつめろ
上記のCEOのおことばの存在を裏付けるCMを発見。
 
1995年当時、株式会社ローソンはダイエーグループであった。
ローソンは現在、ダイエーグループを離れ、三菱商事の子会社となっているが、スピリッツは受け継がれていることだろう。

わたしの思い

私は、震災のあとに生まれている。
であるから経験はしていない。

私は、地震によって朝目覚めたことがある。
2018年6月18日7時58分、大阪府北部地震によって。
あの時もかなり揺れ、気持ち悪い感覚に襲われた。

ただ、時間帯的に陽の光があった。

阪神・淡路大震災は1月17日5時46分。
まだ薄暗く、寒い時期であっただろう。
私の体験したものとは比べ物にならないくらい大きな揺れ、恐怖。
また早朝であることから何もわからないまま被害に遭い、お亡くなりになった方もいると思うと、胸が痛むばかりである。

2021年1月17日。
26年を迎えた日は、2020年初頭から続く疫病に苦しんでいる状況である。

いま、わたしにできることは、未来が予測できなくとも、「毎日を大切に生きて行く」ことであると考えている。

黙祷。