ダイエー旗艦店級店舗の屋号変更から5年
2021年3月1日。株式会社ダイエーの関東事業本部、近畿事業本部に所属の旗艦店が運営会社の変更がなされて5年が経過した。
具体的にどこ、という方向けに店舗一覧を書いておく。
関東事業本部
宮城県
- ダイエー仙台店
埼玉県
- ダイエー南越谷店
- ダイエー東鷲宮店
- ダイエー北本店
- ダイエー所沢店
千葉県
- ダイエー長浦店
- ダイエー南行徳店
- ダイエー新浦安店(ショッパーズプラザ新浦安)
- ダイエー千葉長沼店
東京都
- ダイエー赤羽北本通り店
- ダイエー練馬店
- ダイエー碑文谷店
神奈川県
- ダイエー伊勢原店
- ダイエー金沢八景店
- ダイエー横須賀店(ショッパーズプラザ横須賀)
- ダイエー東戸塚店
- ダイエー戸塚店
近畿事業本部
大阪府
- ダイエー金剛店
- ダイエー吹田店
- ダイエー古川橋駅前店
- ダイエー京橋店
- ダイエー長吉店
兵庫県
- ダイエー竜野店
- ダイエー甲子園店
- ダイエー西宮店
- ダイエー三田店
- ダイエー藤原台店
私の原点
私がダイエーを追いかけるようになったのも、実はこの屋号変更がきっかけだ。当初発表された屋号変更対象店舗一覧に、私が子供の頃から足繁く通った思い出のお店が含まれていたのだ。
「ダイエーがなくなる」「思い出の詰まったダイエーがなくなる」と非常に強い危機感を感じたのを今でも覚えている。
そして、私はダイエーを追いかけるようになった。
あの時、ダイエーがなくなることに危機感を覚えていなければ、今の私はいない。
もしかしたら、本当に2018年にダイエーが消えて無くなっていたかもしれない。
ダイエーの消滅にはいまでも反対
昨日2021年2月28日をもって、中国・四国地方で展開していた大手スーパーマーケット、株式会社マルナカ、株式会社山陽マルナカが消滅した。法人格の消滅は、本当に寂しく感じた。
ダイエーはいまも法人格が残っている。
屋号も残っている。ありがたいことである。
私は、ダイエーを追いかけ始めた当初より一貫して、ダイエーの屋号・社名・法人格の消滅には断固として反対を表明している。
かねてより言い続けているが、ダイエーはただのスーパーマーケットではない。
数々の日本初、今となっては当たり前になっていることを始めてきたのはダイエーである。
- スーパーで初めてのPB(ダイエーみかん)
- 日本初のGMSの原型(SSDDS)
- 日本初の大型ショッピングセンター(庄内店)
- 日本初の本格的郊外型ショッピングセンター(香里店)
- 日本のチェーンストア初の紳士服専門店(ロベルト)
- 日本初のハンバーガーチェーン(ドムドムハンバーガー)
- 日本の小売業界初のトレーニングセンター(ダイエー教育センター)
- 日本初のノーブランド商品
- 日本の小売業初の年間売上高1兆円突破
- 日本の小売業で初めて大学をつくる(流通科学大学)
- 日本の小売業で初めて球団を持つ(福岡ダイエーホークス)
当たり前を多く作ってきているので、スーパーマーケットの歴史および小売業近代史を振り返ったときに、ダイエーなくして語れない。
また、ダイエーは小売業、流通業の地位向上にも貢献しているのだ。
流通業で初めて、経団連の副会長に就任したのも総帥の中内CEO。
これまでずっと下に見られていた流通業のトップが、経団連のNo.2になったのだ。
こうした歴史を見たときに、ダイエーがなくなってしまってはならないと考えている。
ある人はいう。「ダイエーの衰退は日本の衰退」と。
私は、「ダイエーの消滅は日本のスーパーマーケットの終焉」であると考えている。
また、屋号というものは代々守り続けてきたのれんである。
「ダイエーだから」と買い物に来る消費者もいるだろう。
お客様は屋号につく。ということを考えると容易に屋号を消してはならないのだ。
だから今日も私はいう。
「ダイエーの消滅には断固反対」と。
最後のひとりになろうとも、反対の姿勢は貫き通す。
これまでも、これからも、それは全く変わらない。
どうか、ダイエーが消えてしまわないように、
皆様の「買い支え」のご協力、よろしくお願いいたします。