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ライフラインに感謝

現代におけるライフラインは、電気、ガス、水道はもちろんのこと、ネットワーク(電話、インターネット)、鉄道、そしてスーパーマーケットであると考える。
そのなかで、この未曾有の事態の中でも止まらずに動いてくれていることに感謝。

ダイエーの新聞広告

2020年5月20日、日本経済新聞にダイエーが全面広告を打った。
見出しは、「届けたいのは、安心
続きにはこのように書かれていた。
ダイエーは、お客さまの日々のいのちとくらしを支えるため、
従業員の安全確保を最優先に、さまざまな安全対策を講じて
毎日、全店で営業しております。
お客さまが買いたいものを、買いたいときに、買いたいお値段で提供し続ける
これが、創業以来の私たちの使命です。 
これ、「お客さまが買いたいものを、買いたいときに、買いたいお値段で提供し続ける」の一文が何を示しているか、ご存知だろうか。
ダイエーが創業以来ずっと守り続けている理念「ダイエー憲法」である「よい品をどんどん安く、より豊かな社会を」なのだ。 
「よい品」とはお客さまが買いたい品、「どんどん安く」はお客さまに納得していただける価格を意味する。 
最後にはこのように締めくくられている。
多くの「ありがとう」のお声に「感謝」 
私はこれは逆だと考える。感謝を伝えなければいけないのは我々消費者だ。
だから私は、「届けたいのは、安心」に対して「伝えたいのは、感謝」で応えたいと思う。
 

60秒間の感動ドキュメンタリー

2020年5月22日、ダイエーは近畿地区限定で今回の広告に関連した特別CMの放映を開始。 
 

1995年、関西を襲った阪神・淡路大震災。
あの時も、ダイエーは政府より早く対応し、早いところだと当日には営業を再開。
営業できないお店でもCEOの「明かりをつめろ」の厳命で明かりを灯し続けた。
そのときのCEOの想い「スーパーはライフラインや」
この考えを持ち、今日まで営業を続けてきた。

そして時は2020年。爆発的な力を持つ病によって起きている未曾有の事態。
そんな中でも、ダイエーは対策を取りつつ営業を継続。
届けたいのは、安心」 のメッセージのもとで、「スーパーはライフラインや」の中内イズムを守り、ライフラインとして対策を取りつつもお客さまのために「いつも通り」営業することを誓ったのだ。
そして、最後には上弦の月をモチーフにした3代目ロゴ。これは多くの人の涙を誘った。
CEOの考えは忘れていない」というダイエーの意思表示であろう。 

いまや千葉の大手スーパーの傘下なので、このようなCMについて社長の「待った」がなかったのも不思議である。
ただ、社長は年代的にダイエーの黄金期をご存知のはずなのと、兵庫県民(出身)であるようなので、何か特別な想いをお持ちなのかもしれない。

新聞広告第2弾!

2020年8月13日、ダイエーは日本経済新聞に新たな新聞広告を打った。
見出しは、「安心を、一緒につくりたい」 
続きにはこのように書かれていた。
コロナ禍でも休むことなく「食のライフライン」を守り続ける。そんな私たちの店に、
小さな男の子が手紙を届けてくれました。

私たちは、大きな勇気を頂きました。
そして、もっと安全で安心できる店を目指して
さまざまな取り組みを強化してまいります。

今年のお盆は、遠出を控えて家族でゆっくり過ごす…。
そんな皆さまに、日本各地の生産者の想いのこもった、美味しい食べ物をご用意しています。

届けたいのは、安心。 きょうも笑顔で、お待ちしています。 
ちなみに、男の子が届けたという手紙にはこのようなことが書かれていたようである。
ダイエーのみなさんへ
コロナウィルスのえい
きょうで たくさんの
お店がストップし
ているのに 僕たち
においしい食べ物を
売ってくださりありがと
ダイエーが老若男女に愛されるスーパーマーケットであることはすでに分かっていることであるが、たった一人のお客さまにもこのような対応をしてくれることを再確認できた。

なぜここまでするのか。
これにはダイエーに伝わる理念が関係していると考える。
それは、「For the Customers」 
これは直訳すると「お客さまのために」である。
ダイエーの考え方だと「お客さま第一」は当然である。
「お客さまのために何ができるか」を考えていくことが重要。

大変な中頑張っているダイエーにお手紙をくれた小さなお客さまに対して何ができるか、を
考えた結果がこの新聞広告なのだろう。

 「安心を、一緒につくりたい」 安心は、ダイエーだけで実現できるものではない。
我々お店に買い物に訪れる消費者も協力してこそ、一緒に「安心」をつくっていけるのではないだろうか。 
そのために何をすべきか。答えはダイエーがすでに示している。
①少人数で
②すいている時間帯に
③マスクをして
    お越しください
この3点にプラスして、店内に入る際はアルコール消毒液での手指の消毒、来店客同士でのフィジカルディスタンス(物理的距離)の確保を徹底すれば、ダイエーのいう「安心」はつくれるのではないだろうか。

 

63歳

2020年9月23日、ダイエーは63歳の誕生日を迎える。
こんな状態でも頑張ってくれているダイエーを100年、200年続くスーパーにするために、皆様の温かい買い支えを何卒よろしくお願いいたします。

2020年9月10日 
誰よりもダイエーを愛する スーパーゆかり

御礼

まずはじめに、スーパーマーケット、ドラッグストア、物流業者のスタッフの皆様。
お店を開けていただいて、商品を運んでいただいて心から感謝致します。

緊急事態が全国に

4/7には大阪、東京、兵庫、福岡、神奈川、埼玉、千葉に、4/17には全都道府県に緊急事態宣言が発出されました。
これにより不要不急の外出自粛要請が出ています。
ただ、スーパーマーケット等に食料品を買いに行くのは必要急の外出であると考えています。
そこで、この記事を読んでいる方にお願いしたいことがあります。

感謝

スーパーマーケットやドラッグストアは開いています。なぜでしょうか。
必要なものが売っているからであります。
特に、スーパーマーケットはライフラインであります。
スーパーマーケットやドラッグストアに商品が並んでいること、商品が買えること、当たり前だと思ってはいませんか。
当たり前ではありません。
商品が買えるのは、お店を開けてくれるスタッフさんがいること、商品を売場に出してくれるスタッフさんがいること、そしてお店に商品を運んでくれる物流業者倉庫から商品を出してくれるスタッフさんがいること、これらすべてがあるからです。もちろん食品メーカ、薬剤メーカの人々のおかげでもあります。
スーパーやドラッグストアに買い物に行かれた際、レジでも良いですが、売場でスタッフさんを見かけたら「ありがとう」と伝えてあげて欲しいのです。
スタッフの方々はこの大変な事態に大変な思いをしてお店を開け、営業を続けてくれています。
そして、きっと疲れが溜まっていることでしょう。
スタッフの方々はお客様に「ありがとう」と言われると喜んでくれる方が多いと思います。
ぜひ、スタッフの方々に温かい声をかけてあげていただけませんか。

物流業者は?と思った方々、(いわゆる店舗に商品を配送する)物流業者のトラックの運転手等はお客様の前に出てくることはないと思ってはいます。
ただ、感謝の気持ちに重い軽いはないと思っていますので、感謝の気持ちを持ってください。

思いやり

この大変な事態に、ドラッグストアや総合スーパーの医薬品売場等でスタッフに詰め寄り、「衛生用品はないのか」「なぜないんだ」と怒っている人がいるようです。
また、マスク等の衛生用品がないと掲示されているにも関わらず詰め寄り、スタッフを困らせている人がいるようです。
その様な人たちがこの記事を読んでいるかはわかりませんが、伝えたいことがあります。長く書くと読まないでしょうから簡潔に。
掲示物を読め。
また、衛生用品がないと書いているにも関わらず、売場の前で座り込み移動しない人がいるようです。
主にドラッグストアででしょうか、物流のトラックが商品を搬入している様子を見つけては、「衛生用品はないのか」と詰め寄る人もいる様です。
はっきりと申し上げたいと思います。
言語道断です。
もう少し、目の前の人々のおかげで日常生活が送れるということを考え、思いやりの心を持ってください。

私がやっていること

私自身、マスクは買いだめはしておりません。数十箱持っているといったことはございません。
私はいま、下記の対策を取っております。
  • 外出時のマスクの着用
  • 消毒薬を見つけたら手指の消毒
  • スーパーゆかりの活動に係る打ち合わせ等のオンライン実施(今後)
打ち合わせについては、今後計画中の事柄についての打ち合わせを飲食店等で行わないように致します。一旦は5/6までですが、状況によります。

また、この有事の際の情報収集をしやすくするための特設サイトを設置しております。
このサイトは、都道府県別に情報発信されているサイトをまとめ、リンク集の様な使い方ができる様に制作しております。
HTMLベタ打ち、重くなる様なものは入れておらず、スマートフォンでも軽々閲覧可能です。
ぜひご活用いただければと存じます。

最後に

一人だけでは状況を変えることはできません。
しかし、みんなで頑張れば状況を変えることはできます。
今できること、石鹸を用いた手洗い、不要不急の外出を避ける、咳エチケットの徹底をみんなでやり、
少しでも状況が良くなる様に持っていきましょう。

残りわずか

2019年も残すところあと6時間を切りました。
今年も激動の1年であったダイエーを月ごとに振り返る。 

1月 大きく動くとは思わなかった

1月、すでに0239(横浜西口店)の閉店が決まっていたが、これ以上に大きく動くとは思わなかった。

2月11日 横浜西口店、47年の歴史に幕。

2月11日、横浜西口店が47年の歴史に幕を下ろした。
店長は、とても辛そうに挨拶をしていた。
やりきったような感じの表情になっていたが、どことなく寂しそう。
ただ、「南幸の街が大好き」と語っていたのが印象的。
ダイエーとして復活したいとも言っていたので、ぜひダイエーの屋号を引っさげて復活してほしい。
なお、私は同じ日に閉店した四条大宮店の閉店せレモニーに参列していた。

3月1日 山陽マルナカから14店が仲間入り。

3月1日付で、山陽マルナカから14店舗がダイエーに仲間入り。 ダイエーは、近畿事業本部に入れるのではなく、「マルナカ事業部」という専用の事業部を作り、看板を守った。
変わったところといえば、レシートの社名、システムと、各種企画や求人広告ぐらい。

3月31日 ショッパーズプラザ横須賀、涙の閉店。

2019年3月31日、横須賀市にあるダイエー横須賀店が閉店。 支配人が挨拶をしていた。
一番印象に残っていたのは、中内イズムである「お店は、お客様のためにある」と語られたこと。
オレンジの血が流れているのがすぐわかりました。

ダイエーの教えは、そう簡単に他に染まらないことが明らかになった閉店セレモニーでありました。

なお、筆者は閉店当日に閉店せレモニーに参列し、記事を記しているのでそちらもご参照願いたい。

4月26日 ダイエー栂店、黒塗り復活。

2017年7月31日をもって閉店したダイエー栂(とが)店が、建て替えののち、4月26日にフードスタイル栂・美木多店として復活。
当方は、黒い看板のお店はあまり行かないので取材できていない。

5月 フードスタイル四ツ橋店のオープンが発表

5月20日付で、ダイエーは大阪市の四ツ橋交差点すぐのホテルのゲタバキテナントとして、フードスタイル四ツ橋店をオープンすると発表。
こちらも場所はわかっているが、取材はまだである。

6月 ダイエーの動きとしては特になし

ダイエーとしては四ツ橋に新店を出したぐらいであり、大きな動きは見られなかった。

7月18日 ダイエー京橋店が閉店するとの知らせ

7月18日、読売新聞朝刊にとんでもない記事が書かれた。

大阪の旗艦店、ダイエー京橋店が閉店するというのだ。
私は、頭を殴られたかのような強い衝撃を受けた。
絶対に閉まらないと思っていたからである。
京橋店の余命宣告ほど驚いたものはない。

こちらも、記事にしているのでご参照願いたい。

8月30日 ダイエー新松戸店、黒塗りに。

8月30日、ダイエー新松戸店が黒看板でリニューアルオープン。
0350で、同年代で現役なのはポートアイランド店。
かつてスケートリンクもあったというぐらいのお店。
悲しいかな、黒看板になりました。

9月14日 藤井寺に新店。

9月14日、とあるショッピングモールの核となるお店として、フードスタイル藤井寺店がオープン。
株式会社ダイエーが運営する」なんて書くぐらいならダイエーかグルメシティでいいと思うのだが。
なお、例によって取材はまだである。

9月30日 ダイエー京橋店、47年の歴史に幕。

9月30日、大阪の京橋のランドマークのひとつであるダイエー京橋店が閉店。
支配人の挨拶の前に、ダイエーとも繋がりのあるシンガー集団、human noteと大阪は京橋出身の歌手、木山裕策氏によるスペシャルライブ。
お二方とも、ダイエーへの思いを語っていた。

最後に、長崎支配人が挨拶。
一番行きたいお店」と力強く語っていたのが印象的。
最後には、human noteの「蛍の光」で幕を下ろした。

なお、このお店の閉店セレモニーにも参列しておりました。
その様子も記事にまとめておりますので、ご参照願いたい。

10月 成増店の閉店発表

10月8日、都市商業研究所のサイトに「成増店が閉店する」と書かれた。
まだまだ若いお店なのに、と衝撃を受けた。

11月 ヒカリ屋山科、復活の報

11月19日に、昨年11月30日で閉店したダイエーヒカリ屋山科店の跡地に建つショッピングセンターの核店舗としてフードスタイル山科椥辻(やましななぎつじ)店がオープンするとの発表。
黒看板ではなく白地にオレンジはいつ復活するのか。

12月6日 山科に新店舗

11月19日に発表された山科の新店舗が12月6日にオープン。
昨年の閉店時に行けなかったが、結局再建後も行けていない。取材したい。

12月31日 ダイエー成増店が閉店


10月に発表されたダイエー成増店が今日、2019年12月31日18時をもって閉店。
まだまだ若いのに閉店する模様。
30年はまだ若い。

閉店セレモニーには参列できないが、様子は調査しようと思う。

激動すぎる2019年


ダイエーにとり、激動の一年であった。
来年にもダイエー店舗の閉店が数店舗控えている。
これ以上、ダイエーを減らさないでという願いを込めて、2019年を終えようと思う。

今年もお世話になりました


2019年もお世話になりました。
来年はダイエーに数十店舗養子に来ることがすでに決まっています。
果たして、そこはまた事業部を作り個性を守るのか、それとも…。

2020年も、スーパーゆかりとダイエーをよろしくお願い申し上げます。
皆様どうぞ良い年をお迎えください。

ダイエー京橋店、惜しまれつつ閉店。

本日2019年9月30日、あの大阪の旗艦店であり京橋のランドマークでもあるダイエー京橋店が閉店。
今回はそれについてレポート。

古き良きダイエーの残る店

京橋店は1971年11月26日オープン。 1971年といえば大阪万博の次の年、アポロが月に着陸した年であります。
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大北京の前のダイエー矢印。

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エスカレータ付近のパネル。
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かっこよくて素晴らしい。 

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時代の止まった売場。
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圧倒される三連ダイエー矢印。
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ピクトグラム最高。
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ダイエーのサイン。
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見つけた懐かしのフロア案内。
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駐車場でAとBに分かれていたのはここぐらい。
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最後まで気付かれずに残りました。

閉店セレモニー

今回、事前に2階のセンタープラザで閉店セレモニーをやると告知があった。
ゲストはhuman noteの皆さんと木山裕策氏。
19:00ちょうど、予定通りにスタート。 まずはhuman noteの皆様のミニライブ。
2曲歌われましたが、とても素晴らしく、どことなくお店の建物に向かって歌っているようにも聞こえた。
human noteの皆様は、全員だと700人を超えるためか、お店のある都島区を中心に活動されているグループの方々が参列。
青春時代を過ごし、結婚してからは子どもと来るようになり、思い出はたくさんあるからさみしいと語った。 

human noteをご存じない方のために少し。
ダイエーと関わりのあるアーティスト集団で、「世界一☆ベジタ」や「Wonderful Christmas」などを歌っている方々。
私はhuman noteが来るということを知った時は、「わかってらっしゃる」と思った。

続いて木山裕策氏。
この方は生まれも育ちも京橋。都島だと語った。
1968年にお生まれになられたとのことで、ほぼダイエー京橋店と歳が近いとも語った。
子供の頃から知っていて、ディッパーダンのクレープも好きだったとも語る。
上京された際にはディッパーダンがあまり見当たらないと驚かれたそう。 

この方、実は二足のわらじを履かれていて、サラリーマンしながら歌手活動をされている方。 
ガンを乗り越え、生きた証を、自らの声を残すべく歌い始めたのが始まりだそうで。

代表曲「home」をはじめ3曲を歌われた。
ライブの前に公開リハという珍事も。 

木山氏の歌声も、お店に、特に同年代であろう親世代に響いたのではないだろうか。

 

最後の挨拶

ライブ終了後、来賓3名が登壇。
都島区商店会連盟会長、ダイエー京橋店の長崎支配人、ダイエー京橋店専門店会の会長の3名である。

まずは都島区商店会連盟会長の挨拶から。
ダイエー京橋店は1971年、大阪万博の次の年。1970年には京阪モールがオープンし、その次の年にダイエーがオープン。

当時は百貨店の全盛期からスーパーに変わりつつあり、スーパーに力があった時代と語った。
それ以来、商店街とダイエーの専門店会とともにまちづくりをしてきたと語った。
京橋は昔は非常にガラの悪い街であったが、活動の成果か、放置自転車、路上喫煙を一掃
区民祭りのサポートや、大阪マラソンの選手向けの食品提供までしてきたという。
幕を降ろすことは痛手であり、ともにやってきた仲間が去るのはさみしい限りであるといったが、
OBPとともに「都市再生緊急整備地域」に指定されたため、建て替えとなることに。
ダイエーの時は万博の翌年だったけれど、今度の大阪万博の時に合わせて建つのではないかと予想された。
ダイエーは無くなるわけではないが、また京橋のランドマークとして戻ってきて、でかいイイやつを建ててほしいと希望を持っていらっしゃった。

が、不安もあるという。
でかいのが建つと、全部のお客様がダイエーに流れて、商店街が衰退するのではないか、と不安がっていた。
会長、申し訳ないけれど、現実になりそうなので怖いですよ。

しかし、京橋活性化にはなくてはならないお店であると語り、最後には長崎支配人と専門店会長に御礼をし、ダイエーがなくなったら商店街に来てちょうだいと締めくくった。
大阪らしいなぁ。
(お別れではなくめでたく締めたい、とも語った。)

続いて、ダイエー京橋店の長崎正司支配人より挨拶。
この時点で20時4分前であったが、20時をもって閉店ということにしたいと語った。
1971年にオープンした際、支配人は小学生であったそう。
センタープラザ横に「思い出の木」と称して葉っぱの形でツリーを作ることをしていた。
たくさんメッセージをいただきました、と語る。

あまりに数が多すぎて、「思い出のビル」になっているといった。

着任をして5年半、建ってから47年。一言では語りつくせないと。

お客様から手紙をいただき、感謝のメッセージもいただいたという。
お客様に感謝しきれないぐらい感謝しているとも語る。
あるお客様からは、「この47年、親子3代、孫まで、思い出を作ってくれた」と真剣に話された、とも語った。
ここ数日のお客様との会話は、感謝の言葉ばかりだったという。
学生時代を過ごした、ドムドムやディッパーダンのクレープを食べたというメッセージ、支配人自ら熟読していたという。
着任してから5年半、地域のお客様や駅利用のお客様に何もできなかったと語る。
しかし、先輩方々が守ってきた店、自分がこの店を守れるのか、というのが着任当初の感想だったそう。
ダイエーに入社して一番行きたかったお店がここ京橋店であると語った。
支配人だけでなく、同僚も含めてみんなが言っていたという。

お客様にきっちり物、サービス、コトのサービスを還元していく目標のお店がここだったと語った。

5年半前に着任し、目標達成したと語る支配人。

ただ、一時閉店に際してはご不便をおかけしてしまうことは恐縮であると語る。

ここからは本意ではないのかもと思いつつ聞いていたが、 (自主規制)グループはドミナントである。

4km先に野田阪神、3km先に鶴見緑地、南側には大阪ドームシティ、 (自主規制)モールがたくさんある。 (自主規制)バリュもあるという。 近くには(自主規制)光洋もやっている。
その期間はそちらを利用していただいて、戻ってきた際にはウチに来てと語った。 その期間はきっちり(自主規制)共々全員で還元していくと宣言し、47年間ご愛顧いただいたお客様に対するメッセージとする。
47年間、ありがとうございました」と締めくくった。

最後のお別れ

最後は2階の連絡通路で人だかりができていた。
そこにつながる通路には赤じゅうたん
スタッフたちが列を作り花道に。
出口のそばには長崎支配人。
ある程度まとまりがついた後は、シャッター前に全員整列。
真ん中には長崎支配人、その左には商店会連盟会長、右側には専門店会長。
ここでサプライズ。
human noteの皆様による「蛍の光」で締めくくられるサプライズ。
泣けました。
そして、最後の長崎支配人の寂しそうな顔
つらそうなのが顔に出てました。 

最後に

私自身、このお店は子供の頃から来ていた。
物心ついた頃からダイエーに触れており、1番のおでかけはこの京橋店
親に連れられ、買い物に。

最近も家族を連れてやってきた。
思えば今日までの3日間、ダイエーに通っておりました。
無くなるとは思っていなかっただけに、ショックは大きいです。
セレモニー中に本気で泣いてました。
それぐらい、私にとって思い入れの強いお店の一つです。
ただひとつ、心残りなのは、大北京で中華料理が食べられなかったこと。
閉店間近の激混みで入ることができなかったのです。
悔しい限りであります。
我々にできることは、ダイエー京橋店の存在をこの先もずっとずっと伝えてゆくことです。
絶やしてはなりません。語り継ぐのです。

P.S. 今日は来ていたのかな、中内CEO。
きっと、センタープラザの全体が見える位置でご覧になられていたのかな。

なぜ支配人??

さて、ここまで読み進めてきて気になった方もいるだろうが、セレモニーでは「店長」といっていたのに私は「支配人」と書いている。
なぜだ、という前に説明しておく。
実はダイエー京橋店、昔は一番偉い人支配人だったのである。
支配人というのは大型店の責任者を務める役職で、社内的には店長より格が上になる。
だから、支配人は部長級、店長は課長級だったという。
何を隠そう、私は「ダイエー原理主義者」と公言しているので、京橋店のトップは「支配人」で統一しているのである。

衝撃のニュース

2019年7月18日、ダイエーに関する衝撃のニュースが飛び込んできた。

それは、ダイエー京橋店2019年9月30日をもって閉店するといった話であった。
私自身そのニュースを目にした時、驚きを隠せなかった。

潰れるはずがない。そう思い込んでいたからだ。

48歳を前に生涯を閉じることに

ダイエー京橋店は1971年11月26日に産声をあげた。
建築に携わったのは大阪に本社を置く大手建設会社、竹中工務店

大阪旗艦店として建てられた誰もが知る京橋のランドマークである。
(昔のダイエーをよく知る方には、お店のトップが“支配人”であったくらいのお店、といえば規模がわかるかと思います。)

片町線に乗り換える際も待ち合わせがしやすく、日本で一番歴史の長いドムドムがあり、夕方には女子高生が集まるクレープ売り上げ日本一のお店、ディッパーダンもある。

2016年には屋号強制変更。 2017年9月にはドムドムが美装化工事を受けた。

年季がはいっているところもあったけれど、古き良きダイエーの姿を現代に伝える素晴らしいお店である。

それをダイエーではない第三者が建てかえようものなど、考えたくもない。

再開発計画があるかもしれないけれど、そこにお店を開くのはダイエーであるべきだ。

地域との共存共栄はどこへ

2016年の屋号強制変更時の行事において地元の商店会長がこんなことを言っていたような気がする。 「これまでダイエーがやってきたことを引き継いでAさんも頑張って欲しい
ダイエーが地域と共存共栄を目指してきたのは知られた話。

一体、あの時の挨拶はなんだったのか。

電話取材を敢行

事実であってほしくない。その思いで京橋店へ電話取材を敢行した。

交換手が対応。読売新聞の朝刊に書かれていることは事実だと語った。

しかし、建て替え後がどうなるのか、といったことには明言を避けた。

なお、詳しい担当者がいるとのことで転送を依頼したが、出なかった。
やはり私と同じような考えの方からの対応に追われていたのか、それとも既に退勤していたのか…。

建て替え後は?

Aは、関西の旗艦店としたいとかなんとか言っているようである。
お店がなくなることに対して、
建て替えて綺麗になるからいいじゃない」と思っているそこのあなた。

考えが甘い!!!

ダイエーのお店はダイエーが綺麗にするべきである。
今回のは歴史の軽視であると私は思う。

一番辛いのはスタッフでは

一番辛いのは我々ファンより消費者よりも、店長をはじめとするスタッフであると私は思う。

なぜなら、過去のセレモニーの映像で君津店などの店長の辛そうな様子を見て、今年3月には横須賀店で声を震わせながら挨拶をする店長を実際に見てきたからそう思うのである。
ましてや、京橋の店長はダイエー時代から変わっていない。ダイエー出身の店長である。

京橋店の店長ともあれば、さぞ辛いのではないでしょうか。
何も言わなくとも、思うところは複雑なのではないだろうか。

なお、私自身はダイエーの消滅には断固として反対の姿勢を貫いております。

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